診療、看護、介護に生かす聖書の人間観(その35)

<成長について(7)>
 〜〜あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。〜〜

 では成長とはどのようなことか考えてきました。

 聖書には、こんなところがあります。

マタイの福音書
5章
38,『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
39,しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。
40,あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。
41,あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。
42,求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい。
43,『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
44,しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
45,それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
46,自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
47,また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。
48,だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。

 マタイの福音書の第5章はイエス様の山上の説教として有名な箇所です。
 この中で、イエス様は人間にとって普通であったり、常識であると思われることの正反対のことをたくさん教えられました。
 たとえば、「悲しむ者は幸いです。」とか、「義のために迫害されている者は幸いです。」とか、「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」とか。
 神様の価値観と人間の価値観は、このように全く異なる部分が多いのです。

 そして、さらに第5章では、このようなことも書かれています。
「39,しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。」
「44,しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」

 神様の言われることは、人間の普通の行動パターンとはかけ離れすぎていて、とても実行できません。

 誰が、神様やイエス様のように、人を完全に赦し、完全に愛することができるでしょうか。

 でも、この第5章の一番最後に「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」と書かれているのです。
 神様は、自分が赦すように赦すことを、自分が愛するように愛することを、人間に求めておられるのです。

 私たちには、このような目標が神様から与えられたわけです。
 はるか遠いところにある目標で、そこまでたどり着くのは、不可能に思えます。
 でも、遥かに遠くはあるのですが、目標が示されたからには、その方向に向かって歩き始めることはできるわけです。

 神様がこちらに来なさいと招いてくださっています。
 「遠すぎるから、私には無理です。諦めます。」という人もいるかも知れません。
 でもその反対に、「自分の力ではとてもそこまで到達するのは無理だとは思うけど、神様がこちらに来なさいと招いてくださるのだったら、一歩ずつではありますが、その方向に歩き始めてみます。」と神様に向かって意思表示する人もいるでしょう。
 神様は、人が後者の選択、生き方をするのを期待されています。
 後者の選択をした人に対して、神様は大いに喜ばれて、神様の力で、引き上げ、引き寄せて、目標に近づかせてくださるのです。

 目標に近づいていく、この過程を成長と呼ぶのだと思います。

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