力は主のもの

 もうかなり昔のことなので、いつだったかはっきり憶えていないのですが、たぶん1995〜2000年頃のことだったと思います。
 この頃、パソコンソフトで、聖書の全文検索ができるようになりました。

 その頃、私は、クリスチャンとして、無力感をおぼえていました。
 クリスチャンらしく、正しく生きたいと思っているのに、なかなかそれができない。
 家族や周りの人にも伝道したいと思っているのに、全然できない。
 伝道するどころか、自分がクリスチャンであるということを人に知らせず、人を恐れて、隠しているようなこともよくありました。
 自分にはクリスチャンとして力がないとよく思いました。どうしたら力のあるクリスチャンになれるのだろう。

 ある時、そのことを知りたいと思って、パソコンで聖書の全文から「力」という言葉を検索してみました。

 そうすると、神の力について書かれている箇所はたくさんあるのですが、人間の力について書かれているところはあまり多くないのです。

 私は検索結果を見ながら、思いました。

 「そうか、力というものは神様のものなんだ。人間というものは、どこまでも弱い存在なんだ。自分が弱くても、神様が強いから大丈夫なんだ。」

 そのことがわかってから、気持ちが楽になりました。

 神様を信頼して、従う時に、神様が弱い私を用いて力あるわざを行ってくださるのです。

“神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は、神のものであることを。”
詩篇 62篇11節

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