<聖書の中のすごい人たち(1)>
聖書の中には、たくさんの人が出てきます。
そのうちには、すばらしい働きをした人もいます。
何人か例にあげて考えてみたいと思います。
まずはノアのはこぶねのノアさん
ノアさんは、神様から言われました。
「大洪水が起こるから、それで滅びることがないように、巨大なはこぶねを作りなさい。」と。
ノアさんは、神様の言われたことをそのまま信じて、巨大なはこぶねを作り、その中に入りました。
けれども、ノアさんの言うことを信じなかったそのほかのすべての人ははこぶねに入ろうとはせず、結局大洪水で死んでしまったのです。
生き残ったのは、はこぶねに入ったノアさんの家族と、動物たちだけでした。
私たちは、聖書を読んで、上記の話の流れをを知っています。
そこで、神様から大洪水の予告を受けていたのだから、ノアさんがはこぶねを作ったのは当然だと思ってしまいます。
聖書の中には上記の一連のできごとがあまりにもサラッと書かれているので、私たちは、あまり気に留めずに、読み流してしまいがちです。
ですが、ノアさんのしたことはものすごいことだと思うのです。
もし私たちがノアさんの時代に生きていたとしたら、そしてノアさんのように神様からの語りかけを聞いたのだとしたら、私たちはノアさんのように行動したでしょうか。
神様を信じているのは自分一人だけで、そのほかのすべての人は神様を信じていないという世界で、
何十年にもわたって、すべての人からバカにされながら、それでも神様から示された壮大で地味な作業をコツコツと続けられるような信仰を、私たちは持ち合わせているでしょうか。
自分のことを冷静に振り返ると、私は人からの評判が気になるし、人から良く思われたいと考えているし、神様を信じているがためにつらい目にあいたくないと思うような人間です。
こんな私がノアさんの時代に生きていたら、とてもノアさんのようには生きられなかっただろうと思うのです。
私たちは、ストーリーの結末を知っているから、ノアさんのように生きるのは当然だと考え、ノアさんのように生きることは簡単だと思ってしまうかも知れません。
ですが、もし私たちが、これから何が起こるかわからない状態のままで、ノアさんの立場に立たされたとしたら、ノアさんのように生きられる人はほとんどいないと思うのです。
私たちは自分で思っているほど、強い人間ではないのだと思うのです。
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