教会の中の人間関係で傷つけられないために(その11)

<あなたの教会は会社のようになっていませんか。>

 (その10)で
「会社で、業務や経営上の改善をするために、いろいろな活動を客観的な数字にして、PDCAサイクルを回すのは、有効なやり方だと思います。
 ですが、教会内の活動や教会員個人の評価のために、こういう客観的な尺度を重視するのは、有害なことが多いと思います。」
と書きました。

 なぜそうなのか、もう少し考えてみました。

 まず、会社とはどんなところでしょうか。

 会社は、商品を作ったり、サービスを提供したりして、利益を出すことを目的としています。まさに資本主義的価値観が支配する場所です。金が大事なところです。
 この場所では、会社全体としての効率が重視され、結果が追求されます。
 社員一人ひとりが、息をそろえて、目的に向かって行動することが求められます。
 このためには、あらかじめ定められたルールに社員みんなが従う必要があります。
 上司の指示には従わなければなりません。上司に対してはほうれんそう(報告、連絡、相談)をすることが求められます。
 会社が大事なのであって、社員一人ひとりはそんなに大切にされません。
 社員は均質であるほうが都合がいいので、特に異質な社員だったりした場合には、その人は排除される傾向があるのだと思います。落ちこぼれる社員がいても、おいていかれる場合が多いと思います。
 会社の中ではルールが大切です。
 新入社員に対しては、まずこのルールが説明され、指導されます。社員はこのルールによって評価されます。また社員もこのルールによって、この会社では何が評価されるのかということを知って、自己評価をします。

 それに対して教会とはどんなところでしょうか。

 教会は、心、生き方について考えるところです。喜び合い、励まし合い、支え合うところです。信仰による生きがい、希望、喜びが目標、目的である場所です。会社ではないし、ましてや軍隊ではありません。
 一人ひとりの個人が大切にされ、尊重されるところです。たとえ、社会から価値がないとか、生産的ではないと言われる人であってもです。
 教会の中では価値のない人は一人もいません。だれも見捨てられることがありません。
 多様性が尊ばれます。
 本来は画一的なルールが機械的に適用される場所ではなく、個別に対応されるはずの場所です。硬直化したルールは人を傷つけます。

 考えてみると、会社と教会はまったく対照的な場所です。
 ですが、意識的にか無意識にか、会社的な方法を教会に取り入れることがあるのではないかと思うのです。
 (その10)で問題にした、客観的な尺度で教会員を評価するというのもその一つです。
 決して、教会は会社のような、効率重視、結果重視、利益重視になるべきではありません。

 みなさんの教会は会社のような教会になっていませんか。チェックが必要だと思います。

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