人に迷惑をかけるのは悪いことですか?

 今日はクリスチャンネタです。
 毎日が大吉ですシリーズは今日は1回お休みにします。

 「人に迷惑をかける。」
 「人の世話になる。」
 この二つの言い回しは、違う意味を持つものではありますが、似ている部分があります。
 今日は、人の世話になるのは悪いことかというテーマで考えていきましょう。

 私たちは、人に迷惑をかけてはいけない。できるだけ人の世話にはならない方がいいと考えがちだと思います。
 私は子どもの頃から、「人に迷惑をかけてはいけません。」という言葉を、自分に対する言葉としても聞いてきましたし、人がこう言われるのもよく聞いてきました。
 でもよく考えてみると、人の世話にならずに生きていける人が、世の中に一人でもいるでしょうか。人は一人では生きていけません。必ず誰かの世話になりながら生きているし、誰かに迷惑をかけながら生きているのだと思います。

 私の娘の話です。
 もうだいぶ前になりますが、遠足の前日に階段をふみはずして足首を骨折してしまいました。行きたかった遠足に行けるかどうか危ぶまれました。なんとか松葉杖をつきながら遠足に行くことになりました。すると級友がいろいろな場面で助けてくれて、車いすを代わる代わる押してくれたそうです。もちろん、娘は喜びました。それだけでなく、いろいろと助けてくれた級友たちも喜んだというのです。
 なぜ級友たちは喜んだのでしょうか。
 娘が喜ぶ様子を見て喜んだのでしょう。自分が人の役に立てたことも喜んだでしょう。みんなで喜び合うことができたことも喜んだのだと思います。
 すばらしい級友たち、すばらしいスクールだと私は思いました。

 人は、みな、違った存在として神様に造られています。それぞれが違った弱さを持っています。それをカバーしあって、支えあって生きることを神様は望んでおられるのだと思います。そんな生き方をする時に幸せを感じるように、人は造られているのだと思います。
 支えられる人は、そのことによって喜びや幸せを感じます。支える人は相手の喜んでいる姿を見ることによって、喜びや幸せを感じるのです。

 目先の損得だけを考えて行動するということであれば、こんな生き方はできません。
 聖書には「受けるよりも与える方が幸いである」と書かれています。
 損のように思えても、まず与えるという生き方ができたらすばらしいと思います。

 まず自分の幸せを追求するのではなく、相手の幸せ、周りの人の幸せを追求する。
  そうすると、相手が幸せになるし、いつの間にか自分も幸せになるのだと思うのです。

 私はそんな生き方をしたいと思っています。

 できるだけ人の世話にならないようにしようとがんばる必要はないのです。あまり遠慮しすぎずに助けてもらって、自分はまたほかの人を喜んで進んで助けたらいいのだと思います。
 人は助け合う存在として造られているのですから。

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