教会の中の人間関係で傷つけられないために(その20)

対策案
(6)パリサイ人的クリスチャンに気をつけましょう。

 まじめなクリスチャンは、神様に喜ばれたい、人に認めてもらえる立派なクリスチャンになりたいと思います。それで、聖書に書いてあることを一生懸命に守ろうとします。聖書に書いてあることを自分なりに解釈して、こういうふうに行動したら神様に喜ばれるだろうとか、人に認めてもらえるだろうと思って、そのように行動します。ですが、これがまさにパリサイ人的行動パターンなわけです。
 神様に喜ばれたいという動機はいいのですが、「正しい行動」をすることによって、良い人間になろうとするというのは、聖書の教えとは、ずれてしまっているのです。
 聖書は、すべての人は罪人であって、自分の力で正しく生きることのできる人は一人もいないと教えています。
 だからこそ、私たちにはキリストによる救いが必要なのです。

 ・私は罪人です。
 ・自分の力で正しく生きることはできません。
 ・こんな私が受けるはずの罪の刑罰をイエス・キリストが身代わりに受けて、十字架で命を捨ててくださったことを信じます。
 ・これからは復活されたキリストと共に歩いていきたいです。
 と神様に対して表明さえすれば、神様は私たちの罪をすべて赦し、「あなたは正しい」と認めてくださる。
 これが聖書の教えです。聖書が私たちに求めている生き方です。

 クリスチャンであれば、キリストを信じれば救われるということをたぶん知っているはずです。
 ですが、人間とは弱いもので、すぐに道をふみはずしてしまって、自分の力で「正しい行動」をして、神様と人に認めてもらおうとする、まちがった道に迷い込んでしまいやすいのです。

 現代の教会でも、まじめなパリサイ人的クリスチャンが、立派なクリスチャンと見られがちで、発言力があったりします。
2018/8/7 教会の中の人間関係で傷つけられないために(その15)
に書きましたが、日浅さんや若葉さんにも、パリサイ人的クリスチャンから、指導やプレッシャーがやってきます。
 パリサイ人的価値観が、次第に植え付けられていきます。
 ですが、パリサイ人的生き方には、本当の喜びはありません。常に達成すべき目標や課題が与えられ、努力や修練を続ける必要があります。常にほかのクリスチャンの目やほかのクリスチャンからの評価が気になり、心の休まる時がありません。神様からの評価よりも人からの評価のほうが重要になります。

 日浅さん、若葉さんは、教会の中ではこのようなパリサイ人的クリスチャンからのプレッシャーがあるものだとあらかじめ知っておいて、心ぞなえをしておく必要があります。
 パリサイ人的クリスチャンは、日浅さんや若葉さんにも、行動を求めてきますが、行動は良いクリスチャンになるための条件ではありません。神様は心の中をごらんになるので、心の中の思いこそが大切です。日浅さんや若葉さんは、パリサイ人的クリスチャンからのプレッシャーを受け止めすぎないことがだいじです。

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