診療、看護、介護に生かす聖書の人間観(その6)

<人間は神様に創造された。(5)>
〜〜神様はどのように私たちを造られたのでしょうか。〜〜

(2)ロボットのようにではなく、自由意志を持つ存在として

 神様は人を造る際に、一人ひとりに自由意志を与えられました。

 神様は、人を自分の言うことを何でも聞くロボットのような存在として造ることもできました。
 自分の奴隷のような存在として人を造ることもできました。
 自分によくなついてくる犬のような存在として人を造ることもできました。飼い主を見ると喜んで、しっぽを振ってじゃれついてくるような犬です。

 でも実際には、神様は上記のいずれのようにでもなく、人間に、完全に自由な意志を持つことができるように造ってくださったのです。
 これは驚くべきことです。
 人は、神様に造られたものであるのに、神様に反逆する生き方を選ぶ自由も与えられたのです。神様を無視して生きることも自由にできるのです。

 なぜ神様は、このように、人間に完全に自由な意志をお与えになったのでしょうか。

 考えられる一つの理由は以下のようなものです。

 神様は、愛し合う相手として人間を造られました。
 本当の愛は、自由な意志が保証された場面でのみ、存在しうるのかも知れません。

 たとえば、人間と自由意志をもたないロボットの間に愛は存在しうるでしょうか。
 奴隷と使用人との間に、本当の愛は存在しうるでしょうか。
 人となついてくるペットとの間には、愛は存在しそうな感じもしますが、なついてくるから愛するという愛は、神様的には本物の愛とは言えないのでしょう。

 神様は、人間との間の関係を、自由で、ある意味、対等なものとされました。そこまでして、人間との間の本当の愛を求めておられるのだと思います。

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