診療、看護、介護に生かす聖書の人間観(その17)

<神はどのような方か(5)>

 〜〜弱くても不完全でも罪深くても、神は愛してくださる。悔い改めるなら赦してくださる。何度失敗しても見捨てずチャンスを与え続けてくださる。〜〜

 で書きましたが、神様は、すべての人に優れた部分と、苦手な部分、弱い部分を与えられました。
 私たちは、日々の生活の中で、自分の中に弱い部分があるのに気づいて、悩んだり苦しんだりすることがあるかも知れません。

2018/5/2 ささげる喜び〜〜劣等感からの開放〜〜

 に書きましたが、私も、かつては生活の中や仕事の中で、何年も劣等感を感じながら、生きてきました。
 でも、ある時、自分をこんなふうに造ったのは神様なのだということに気づいたのです。
 神様が、私に弱い部分を造られたのであれば、その弱さのために私を責められることはないはずです。その弱さのためにうまくいかなかったり、失敗したとしても、それで神様が、私を責められるはずがありません。責めるどころか、神様は、ありのままの状態で、私を愛してくださっているのです。

 私たちは、自分の中に弱いところがあると、そんな自分が赦せなかったりすることが多いように思います。
 自分のことが好きですかと問われると、「はい」と答えられる人は少ないのかも知れません。
 でも、弱いところのある自分を、神様は、そのままの状態で愛してくださるのです。
 神様が愛してくださっていて、そのままでOKと言ってくださるのに、自分で自分にOKが出せないのはおかしなことです。
 神様が赦してくださるのですから、私たちも自分のことを赦したらいいんです。
 自分のことを大好きになっていいんです。
 神様も、そうなることを喜ばれるのです。
 私も、自分の中に弱いところや問題があるのを知っていますが、自分のことが大好きです。

 もっと言えば、私たちは、自分に与えられた弱さについて、神様に感謝したらいいんです。

 弱さがあるからこそ、神様に祈ったり、その力にすがることを学ぶことにつながります。
 弱さがあるから、傲慢になりにくくなるかも知れません。
 弱さがあるから、他の人の弱さに共感したり、赦したりできるようになるかも知れません。
 弱さがあるからもっと幸せになれるということもあるのです。
2018/7/8 毎日が大吉です。(その10)

 罪についても、罪を犯したからと言って、それで神様から愛されなくなるなんてことはありません。
 罪があるのに、それを認めないことを、神様は悲しまれます。
 罪を犯した時に、それを神様の前で認めて、悔い改めるなら、それを神様は喜ばれて、赦してくださるのです。
 何度失敗しても、決して見捨てずに、チャンスを与え続けてくださるのです。

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