<成長について(2)>
〜〜私たちは、人間関係の中で成長する。〜〜
2019/1/17 診療、看護、介護に生かす聖書の人間観(その29)
では神様は試練によって、私たちを成長に導かれると書きました。
ここでは、神様が私たちを成長に導かれる別の方法について考えます。
ここでは、神様が私たちを成長に導かれる別の方法について考えます。
聖書の一節を引用します。
箴言
27章
17,鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。
人は、その友によって磨かれ、成長していくのだと思います。
私たちは、人間関係の中で成長していくのです。
私たちは、多くの人と関わりを持ちながら生きています。
私たちは、いろいろなレベル、深さの人間関係に囲まれています。
深い愛や信頼でつながれたカップルや親友があるでしょう。その反対に憎しみ、恨み、敵意の対象となるような人もいるかも知れません。
その両極端の間には様々なレベルの関係があるわけです。
多様な人間関係があるのですが、人を成長させるのは、愛と信頼を基調とした、認め合い、理解し合い、赦し合い、励まし合い、支え合い、仕え合うような関係ではないかと思います。
このような間柄であれば、時にはぶつかったり、けんかすることもあるかも知れませんが、本音で語り合うことができます。
語り合うから、新しい発見があり、互いに考えが深まります。問題にぶつかっていても、語り合う中で自分の中にあった答えが引き出されて、解決に向かって進み出せることもあるでしょう。
共に過ごすうちに、相手の長所、自分の長所、自分の弱いところを発見し、互いにそれを確認していくことになるでしょう。
共にトラブルや苦難や困難をのりこえるたびに、信頼、絆が強まります。
人は、人間関係の中で、受けるよりも与えることによって成長します。
人は、一人だけではなかなか成長できないものなのだと思います。
2019/1/9 「診療、看護、介護に生かす聖書の人間観」シリーズ 目次
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