診療、看護、介護に生かす聖書の人間観(その12)

<すべての人は罪人(4)>

 〜〜キリスト教は戒律の教えではない。〜〜

 世の中にはたくさんの宗教があります。
 私は、すべての宗教についてよく知っているというわけではありません。
 ですが、私の知る範囲で、多くの宗教は戒律の宗教です。
 戒律があって、何が正しいこと、良いことで、何が間違っていること、悪いことかが示されます。
 良いことをして、悪いことをしないということが、人に求められます。
 それができる人が善良な人、優れた人ということになるわけです。

 けれども、聖書の教え、キリスト教はそれとはまったく違うのです。
 聖書の中にも、戒律のような表現がたくさん含まれています。
 神様が喜ばれるのがどんなことか、神様のいみきらわれるのがどんなことか、聖書を読めばわかります。
 ですが、聖書は人間に対して、努力してそれらの「聖書の戒律」を守りなさいと命じているわけではないのです。
 神様の求めておられる標準で「聖書の戒律」を守れる人は誰もいません。

 私たちは一人残らず、弱さを持つ罪人です。正しく生きたいと思っているのに、必ず罪を犯してしまうのです。
 だから、神様に赦していただく必要があるのです。
 人間を赦すために、神様の用意された方法が、イエス・キリストなのです。
 自分の弱さや罪を認めて、神様にすがること、神様の前に出ることを、神様は求めておられるのです。
 キリストの十字架が自分の罪のためだったと認めるだけで、すべての罪が赦されるのです。

 神様から赦していただいたから、私たちは人を赦せるようになるのです。

 聖書の中に書かれている戒律のように見えるものは、私たちが、自分の弱さ、罪深さを知ることができるようになるためにあるのです。

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