教会の中の人間関係で傷つけられないために(その2)

<私の経験したある教会>

 私は一時期あるプロテスタント教会に属していました。
 その教会の牧師は熱心に神様に仕えていて、教会員もみんな熱心でいい教会だと思っていました。
 私もその先生を尊敬していて、教えられることにできるだけ忠実に従っていこうとしていました。
 ところが、ある時、この牧師の恐ろしい罪が明るみに出たのです。
 複数の女性信徒に対して、性的な罪を働いていたというのです。
 ふだんから、性的な潔癖をよく説いておられる先生だったので、にわかには信じられませんでした。
 でも、牧師の行状についての証言がいくつも出てくるにつれ、私の中で牧師に対する信頼が、音を立てて崩れました。
 あんなに何年にもわたって、尊敬し、信頼し、従ってきたのに、裏ではこんな恐ろしいことをやっていたのか。
 深く失望しました。体の力が抜けました。呆然としました。

 でも、幸いなことに、神様に対する信仰は失いませんでした。

 「牧師も罪を犯すんだ。牧師も人間に過ぎないんだ。」これが、私の得た教訓でした。

 思い返してみれば、それまでにも、熱心だった教会員が急に来なくなることが何回かありました。牧師はその時に、その人は堕落していったから、関わりを持たないようにみたいなことを、教会員に説明していたように思います。本当のことはわかりませんが、牧師の罪があったのかも知れません。

 この牧師には強いリーダーシップがあって、カリスマ性があったと思います。
 教会員は牧師の言うことを神様の声と受け取っていました。牧師の指示には従うのが当然でした。
 進学、就職、結婚など、重要な選択の場面では牧師に相談することが当たり前だったように思います。
 教会員に対して、自分で考えることや自分で判断することを勧めるようなことはなかったように思います。祈ることを勧めてはいましたが、祈りの答えはいつでもその牧師からやってくるのです。
 礼拝や奉仕を休む時には事前にきちんと連絡を入れることを指導されました。
 ある教会員に、牧師が何か命令や指示をした時には、牧師は他の教会員には「牧会的配慮」という言葉を使って説明していました。それ以上は誰も牧師に質問したり、意見することはありませんでした。今思えば、「牧会的配慮」とは、これは牧師の専権事項であって、教会員が口をさしはさむ余地はないという意味だったと思います。
 牧師には、神様が特別に語りかけておられるので、牧師の言うこと、することには黙って追従していればいいと、教会全体がそんな雰囲気でした。
 この牧師は、教会員が他の教会の人と会うのを嫌っていて、これを許可制にしていました。事前に牧師と相談し、許可が出た時だけ会うことができるのです。
 牧師は教会員に関する情報を独占していて、教会員が独自に、離れていった教会員と連絡をとったりすることを禁じていました。今思えば、牧師は教会員に関する情報を自分に都合がいいように歪曲して、ほかの教会員に伝えていたのだと思います。

(続く)

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