私はカーナビが好きです。

クリスチャンとして考えていること
初代ブログで2018年5月28日にアップした記事です。

 私はカーナビが好きです。

 私は毎日、多くの患者さんの家を車で訪問して回っています。私は iPad で yahoo カーナビを使っているのですが、最近のカーナビは優秀で、住所を入力したら 90% ぐらいの確率で患者さんのおうちの玄関前まで案内してくれます。カーナビなしではとても仕事は成り立ちません。ほんとに便利ないい時代になったものです。

 でも私がカーナビが好きな理由は、このことではないのです。
 目的地を設定すると、カーナビは一番いいコースを見つけてくれて表示し、音声で案内してくれます。そのとおりに走れば、目的地にスムーズに到着するわけですが、時には曲がるポイントがわかりにくくて、曲がりそこねたりすることがあります。すると、カーナビは道を間違えたことを即座に感知し、別のコースを探索し、何事もなかったかのように案内を続けて、当初とは違ったコースではあるけれどもきちんと目的地に着くようにしてくれるのです。あまりにもさりげなさすぎて、自分が道を間違えたことに気づかないこともあるぐらいです。

 もし、カーナビの表示してくれたコースから間違ってはずれてしまった時にカーナビがこんなふうにしゃべったとしたらどうでしょうか。

 「そこで曲がれって言ったのに、どうして曲がらないの。あんたって、ほんとにとろいね。運転に向いてないんじゃないの。しょうがないから、次の道を探して教えてあげるけど今度間違えたら、もう知らないよ。」

 こんなふうにカーナビに言われたら、落ち込むし、運転してても全然楽しくないし、間違えるのがこわくて緊張するし、ストレスがかかるし、下手すると事故を起こしてしまうかも知れません。

 でも幸いなことに、カーナビはこんなことは言いません。
 間違っても責めることはないし、常に寄り添って、いつでも最善の選択肢を示し続けてくれるのです。

 話は変わりますが、私の人生のこれまでの歩みを振り返った時に、神様は私に対して、このカーナビのように導いてくださったことがわかるのです。
 人生の要所要所で、神様は私にいろいろな方法で導きを与えてくださいました。
 導きのとおりに進んだこともありましたが、自分の弱さのために従えないこともありました。自分の罪のためにコースをはずれたこともありました。でも、そんな時でも、神様は私を見捨てることなく、次の道を教えてくださったのです。そのおかげで、今の私があるのです。

 また別の記事で、神様がどのように私を導いてこられたか具体的に書いていきたいと思います。

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