教会の中の人間関係で傷つけられないために(その8)

 パリサイ人について考えることは、教会の中で起こる諸問題を読み解く上で重要ではないかと思うので、今日もその続きをします。

<パリサイ人の問題の本質>

 神様は旧約聖書の時代に、多くの戒め、決まりを人間に与えられました。
 その中でも一番中心にある、重要な戒めは「モーセの十戒」と呼ばれるものです。旧約聖書の出エジプト記20章に書かれています。
 どんな戒めかと言うと、以下のとおりです。

    (1)主を唯一の神としなさい。
    (2)偶像を作ってはいけません。(偶像崇拝の禁止)
    (3)神の名をみだりに唱えてはいけません。
    (4)安息日を聖としなさい。
    (5)父母を敬いなさい。
    (6)殺人をしてはいけません。(汝、殺す無かれ)
    (7)姦淫をしてはいけません。
    (8)盗んではいけません。
    (9)隣人について偽証をしてはいけません。
    (10)隣人の財産をむさぼってはいけません。

 まあ、これぐらいの決まりだったら、守れるよ。とあなたはおっしゃるかも知れません。
 でも、実は、神様の求めておられる標準は、恐ろしく高いのです。

 聖書にこう書かれています。イエス様の言われた言葉です。

21,昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
22,しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。
マタイの福音書 5章21-22節

 兄弟に向かって腹を立てた時点で、それは、神様から見たら殺人と同等の罪だというのです。

 またこうもイエス様はおっしゃいました。

27,『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
28,しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。
マタイの福音書 5章27-28節

 情欲をいだいて女を見た時点で、それは、神様から見たら姦淫と同等の罪だというのです。

 人間の常識からしたら、ありえない判断ですよね。
 でも、神様はこんな考え方、価値観を持っておられる方なのです。

 私なんか、軽くアウトです。逆立ちしても、滝に打たれてもこんな戒め、守れるわけがありません。
 人に向かって腹を立てることも、情欲をいだいて女を見ることも、毎日のようにありますから。

 このように、本来、人間が本当の意味では守ることができるはずがない律法(本来の律法)を、守れるように作り変えたものがパリサイ人の決まり(パリサイ律法)なのです。
 パリサイ律法を守れば救われると、神の教えを変質させてしまったのがパリサイ人の問題です。
 パリサイ人は人間に過ぎないのに、自分を神の立場に置いたのが、問題の本質です。
 それをイエス様は厳しく非難されたのです。

(続く)

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